Travel-Junkie

じわじわと台湾にハマり、気付いたら29回訪台。ほぼ1人旅、台湾がメインの旅の忘備録。

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台風19号

3連休初日に日本列島を直撃した台風19号。なかなか進路が定まらず、千葉県がまだ復興していないし、逸れてくれるといいなと思っていたのですが、祈りも届かず日本列島総なめでした前日の金曜日、ドラックストアのパンの棚は空、スーパーやコンビニも、パンの棚はもちろん、お弁当やおにぎり、サンドイッチ、すぐ食べられるものは全て空。水やお茶、カップ麺の棚までほとんど残っておらずびっくりレジ横のスナック類だけが残っている状態でした。この光景を見たのは、東日本大震災の時以来。私は、最近ハマってる炭酸水の1リットルボトルが常に最低5~6本ストックしてあるし、普通の水やお茶のペットボトルも最低1本はある。食べ物は、カップ麺やレトルトカレーは数個、パスタやうどん、唐揚げ等の冷凍食品も数種類あるので、特に慌てることもなく。台風当日の土曜日の朝、金曜日から雨は降ったり止んだりだったけど、風はほとんど無くて、ホントに来るのかな?って感じでした。友人から、スーパーやコンビニに商品が補充されてるよ~とラインが来てたので、万が一電気が止まった時のことを考えて、数日持つパンを買いに、近くのコンビニやスーパーを覗いてみたら、通常よりは少ないものの、補充されていたのでいくつか購入。家を出る前、台風のニュースを見ていたら、風速60メートルで自転車が飛ばされる実験映像がやっていた。私の住まいから歩いて20分程の実家は一軒家で、庭に2台、自転車が置いてある。家に入れたほうがいいかもと電話をしてみたら、父が出かけているという。災害に備えた買い物、とかではなく遊びにあのバカ親父、どこまで自由なんだか仕方ないので、買い物を済ませてから実家に寄ってみたら、母が1人で庭にある自転車を玄関に入れてるところだった。母を手伝って、2人で自転車を自宅に入れ、庭の植木を端に寄せたり、軽くて飛ばされそうなものは全て、家の中か物置に閉まったりして準備し、終わってホッと一息ついていたら、自由人のバカ親父が帰宅ガツンと説教をして、雨風がひどくならないうちに自宅に戻った。私の部屋は窓にシャッターが無い。だんだん風が強くなり、雨が窓を叩くようになってきた。お昼前から数回、区役所から避難勧告がスマホに来ていた。が、私の住んでる場所は、避難勧告が出てるエリアではない。避難場所も2か所しか空いてないみたいだし、様子見をしていた。が、その後何度か連絡が来て、区の施設は全て開放したとのこと。そんなに深刻なのかな?区の近くを流れる川のライブカメラをチェックしたら、一番近くを流れる川の水位が橋桁近くまで来ていた私の住んでるところは、下町5区のゼロメートル地帯ハザードマップを出してネットで話題になった”あの区”なんです台風が東京に来るのはこれからだし、夕方に満潮になる。雨が強くなってくる頃に満潮。これは、まずいかも今日は家に籠って、夜は”ほん怖”を見て過ごそうと思っていたけど、そんな場合じゃないかも。両親に電話してみようと思っていたら、都内の他の区に住んでる弟からラインが来た。「荒川が危険水位を超えたらしい。避難したほうがいいんじゃないか?」私『実は、区から避難勧告が出てる。ライブカメラ見たら、近くの〇〇川の水位が橋桁近くまで来てるみたい』弟「すぐ、避難した方がいい。親父とおふくろにも連絡して、区の施設でなるべく高い建物へ行け!」私「わかった!そうする!」実家に電話し、急いでしたくをしていたら、弟からラインが来て、どこでどう調べたのか「〇〇(区の施設)はもういっぱいらしい。〇〇へ行ったほうがいいかも」一番近いのは4階建ての小学校で歩いて1分位だけど、開放していないみたいなので、区のコミュニティー会館で両親と待ち合わせをして向かった。途中、風が強くて傘が壊れそうになりながら、なんとか区のコミュニティーに着いたら、まだ受け入れ可能だったので、受付を済ませたら両親が来た。この施設、ホールが幾つかと、和室、数百人が入るコンサートホールがある。一番上の階のホールと和室はいっぱいのようなので、コンサートホール前の廊下にある長椅子を2つ、確保することが出来た。周りもだんだん人が増えてきて、私たちが到着して1時間位で閉まってたコンサートホールも開放したとのこと。いったい、何人が避難しているのか?近くに来たファミリーは用意周到であれこれ持ってきていたけど、私たちは少しの食料&飲み物と着替えのみ。レジャーシートや、使い捨てスリッパがあれば良かったな。でも、雨風しのげる清潔で安全な施設で過ごせるだけで、ありがたいと思わないと。とりあえず、一息ついたので、心配している弟に無事、避難できたとラインをする。途中、クラッカーを配布するので受付まで来て下さいと放送が入る。コンサートホールの前は窓が無く、防音が効いているのか、周りがガヤガヤしているからか、しばらくは外の音が全然聞こえなかった。消灯は9時で、消灯時間を過ぎた後から、凄まじい風と雨の音が聞こえてきた。今まで、聞いたことがないような、強い風の音と叩きつける雨の音。明日の朝、家がどうなっているのか?子供の泣き声や、あちこちで話し声がしているので、しばらくは眠れなかったけど、いつの間にかうとうとしていたらくし、目が覚めたら1時半頃で、風と激しい雨の音が止んでる。隣にいたファミリーが居なくなっていた。どうやら、音が静かになってきた頃に、様子を見に行って、そのまま帰宅したらしい。トイレに行ってみたら、廊下にびっしり座ってた人たちが、かなり居なくなっていた。私たちも帰ろうかと思ったけど、深夜で真っ暗だし、ここから10分位歩くので、もうひと眠りして明るくなるのを待つことに。早朝5時半頃、父が「帰る」と言い出したので、明るくなっているし、自宅に戻ることにした。受付で帰宅する旨を伝える。この施設だけで、800人も避難していたらしい。雨はすっかり止んで、太陽が顔を出していた家に帰ってみたら、窓も割れておらず、自転車も飛ばされてなくて無事でした実家も無事だったようで、ホッとしました。近所のスーパーもあちこち通常営業に戻ったので、週末の買い出しに何度か行き、一息ついてテレビを着けたら、あちこちの川が決壊して、被害が多数出ていた模様でびっくり。一番驚いたのは、多摩川が決壊して、川崎市や世田谷区に被害があったこと思っていたほどでは無かったと、帰宅したときは思ったのですが、やはり巨大で凄まじい台風だったようです。亡くなられた方のご冥福と、被災された方々の、一日も早い復興をお祈りします。

ここ数年、災害があるたびに想定外と言っていますが、これだけ災害が重なると、想定外では済まない。避難した人達に我慢を強いるのではなく、もっと快適に過ごせるような避難所を整えて、災害に備えるべきではないのか。各自自体だけでは無理なので、国で考えるべきなのでは?って思います。無駄なとこに税金使ってないで、もう少し考えようよ、阿部ちゃん。